チェッカーズ復活は…ありえない。解散はファンに謝罪…。 [芸能]
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11月19日(火)に、藤井フミヤ氏が
チェッカーズ解散をファンに謝罪、 「すみません」とコメントしました。
11月12日、歌手・藤井フミヤ氏(51)が
東京・渋谷のSHIBUYA-AXで
「復活!カウントダウンライブ青春『50日前夜祭』」がありました。
今年は、5年ぶりに日本武道館での年越しライブが決定。
本人も「50日前夜祭…無理矢理ですが」と笑いながらも、
現在全国を回っている30周年記念ツアーと同じように
チェッカーズナンバーを中心に約2時間にわたり、
歌い続けました。
藤井氏は、コメントで久しぶりのカウントダウンライブに
「(スタッフに)カウントダウンやりましょうと言われて、
お客さんが入るならと。
最近、年越しそばを食べて、
おせちを食べる普通の生活に戻れたんですが(笑)」
カウントダウンライブに対しての
気持ちを語りました。
1999年に日本武道館史上初のカウントダウンライブを開催し、 2008年まで10年連続で続けた藤井フミヤ氏。
1983年、チェッカーズのリードボーカルとしてデビュー以来、
日本武道館のステージに100回以上立ち続けてきていました。
この日のライブは6日前にチケットが発売され、即完売。
会場前にはダフ屋が現れ、終演後には生写真が売られている。
という30年間変わらない光景でしたが。
当時のチェッカーズファンも、藤井フミヤ氏とともに年を取り、
今や30~40代が中心になっています。
そのファンを前に、藤井フミヤ氏はこう謝辞されました。
「チェッカーズは良い思い出も、悪い思い出もありますが(会場笑い)、
今となっては良い思い出です。
勝手に解散して、泣かせて、すみませんでした。
そのあと、どうなるかなと思ったけど、
また戻ってきてくれて本当に感謝しています」
通常のライブであれば、
【I Love you, SAYONARA】
【Room】
【素直にI’m Sorry】
などチェッカーズ時代の曲が流れると、
会場は大歓声に包まれることも多いが、
この日のファンは冷静でした。
おそらく、9月から始まったライブツアーに
何度も足を運んだファンの方が多く集まっていた為?
かと思われますが。
それだけ根強い固定ファンが居る証拠となるでしょう。
【HEART IS GUN ~ピストルを手に入れた夜~】の
イントロが流れた瞬間、
会場は地鳴りのような歓声が沸きました。
1989年発売のアルバム
【Seven Heaven】
に収録されたこの曲は、
チェッカーズのライブで盛り上がる人気曲で、
間奏中にフミヤが
「高杢、あばよ」
「政治、あばよ」
「尚之、じゃあな」
などと他のメンバーを銃で撃ち殺す寸劇も
行なわれていた曲でした。
この日も銃のようなものを持ち、
客席に向けるパフォーマンスで
会場を最高好調に盛り上げ、
ファンも当時のままの振り付けで踊り、
会場は一体感に包まれました。
その後、1986年発売のシングル
【OH!!POPSTAR】
と一緒に入っている
【おまえが嫌いだ】が流れると、
ファンの熱気はピーク達しました。
これも、チェッカーズ時代にライブで
何度も演奏された名曲で
ファンは酔いしれました。
「また一緒に遊ぼうぜ!」と25年前と変わらない
セリフで藤井フミヤ氏は会場を後にしました。
今や、懐かしいバンド時代の
X JAPAN、
LUNA SEA、
米米CLUB、
ユニコーン、
プリンセス プリンセスと、
2000年代後半以降、人気バンドの再結成が急増しているが、
今年デビュー30周年を迎えるチェッカーズ10+の動向が
気になるのだが…。
ふたつ返事で、再結成しよう!
とは、なかなか出来ない事情もある。
昨年12月28日、リーダーだった武内享が、
ツイッター上でこうつぶやいている。
「ツイッターとやってないだろうが、
オレにチェッカーズ再結成話で電話してくる業界関係者に言いたい。
中途半端な気持ちでオレに電話するな。
オレはチェッカーズ10+ 件が本当に好きなんだ。
だからオレが一番やっかい」(原文より)
業界関係者が、チェッカーズ10+ 件再結成話を
持ちかけてきているというのである。
チェッカーズは1983年に
【ギザギザハートの子守唄】でデビューし、
翌年
【涙のリクエスト】が大ヒット。
以降も、
【星屑のステージ】
【ジュリアに傷心】
【I Love you, SAYONARA】
【夜明けのブレス】
など数々のヒット曲を出し、
1992年に惜しまれながら解散している。
チェッカーズといえば、思い起こされるのが、
2004年にドラム・徳永善也氏が死去した際に話題となった
“確執騒動”。
『徳永善也を送る会』の発起人に、
武内享、大土井裕二、藤井尚之、藤井フミヤの
元メンバーは名を連ねたが、
同メンバーだった、高杢禎彦、鶴久政治の
サイドボーカルコンビの名前はなかった。
この出来事はワイドショーなどで、大きく報じられた。
「チェッカーズ解散後、武内などの楽器陣は、
徳永と『アブラーズ』というバンドを組み、ともに活動。
そのライブに、フミヤがゲストで登場したこともありました。
一方、高杢や鶴久は7~8年間まったく徳永と
会っていなかったはず。
と関係者は言う。
『送る会』以前に福岡で行なわれた葬儀には、
鶴久は仕事で来られなかったものの、高杢は参加。
フミヤに『久しぶり!』と声をかけられ、
感動したと漏らしています。
しかし、『送る会』の案が出た後に、
高杢が突然『発起人になりたい』と言い出したのには皆、
閉口したようです」(音楽業界関係者)
というのもその前年に、
高杢は暴露本『チェッカーズ10+ 件』を発売
(本人は、テレビで「ボーロ本ではなく、ジショ伝」と発言)。
これが、チェッカーズの不仲を世間に知らしめる決定的な
出来事になっていた。
「暴露本を出しておいて、『仲良くしよう』といわれても、
あまりにも筋が通らないでしょう。
私も読みましたが、あまりに独りよがりな発言ばかりで、
空いた口が塞がりませんでした」(前出・音楽業界関係者)
このような一連の流れから、
チェッカーズ10+ 件の再結成は不可能だという見方が大半のようだ。
長年のファンは…
「クロベエ(徳永の愛称)が天国に行った時点で再結成はありえない。
7人でチェッカーズ10+ 件なんです。
思い出は美しいまま残したい。
ただ、万が一再結成したら……、
やっぱりライブのチケットを取っちゃうのかなあ……」
とファンらしい意見が一番多いが。
解散後に、積極的に活動をやって来たのは
藤井フミヤ氏。
やはり、長年のファンとしては
藤井フミヤ氏の、一言が一番
心に響く。
***************************************
【あの”与沢翼が”編集長”!?】
与沢翼がまたしても
突飛押しも無い事を始めたようです。
あの与沢翼、本人が
”責任編集長”
を務め、
【土屋ひろし】、【久積篤史】とともに、
オールドメディアに殴り込みをかけたそうです。
その秘めたる真意を目の当たりにして下さい。
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11月19日(火)に、藤井フミヤ氏が
チェッカーズ解散をファンに謝罪、 「すみません」とコメントしました。
11月12日、歌手・藤井フミヤ氏(51)が
東京・渋谷のSHIBUYA-AXで
「復活!カウントダウンライブ青春『50日前夜祭』」がありました。
今年は、5年ぶりに日本武道館での年越しライブが決定。
本人も「50日前夜祭…無理矢理ですが」と笑いながらも、
現在全国を回っている30周年記念ツアーと同じように
チェッカーズナンバーを中心に約2時間にわたり、
歌い続けました。
藤井氏は、コメントで久しぶりのカウントダウンライブに
「(スタッフに)カウントダウンやりましょうと言われて、
お客さんが入るならと。
最近、年越しそばを食べて、
おせちを食べる普通の生活に戻れたんですが(笑)」
カウントダウンライブに対しての
気持ちを語りました。
1999年に日本武道館史上初のカウントダウンライブを開催し、 2008年まで10年連続で続けた藤井フミヤ氏。
1983年、チェッカーズのリードボーカルとしてデビュー以来、
日本武道館のステージに100回以上立ち続けてきていました。
この日のライブは6日前にチケットが発売され、即完売。
会場前にはダフ屋が現れ、終演後には生写真が売られている。
という30年間変わらない光景でしたが。
当時のチェッカーズファンも、藤井フミヤ氏とともに年を取り、
今や30~40代が中心になっています。
そのファンを前に、藤井フミヤ氏はこう謝辞されました。
「チェッカーズは良い思い出も、悪い思い出もありますが(会場笑い)、
今となっては良い思い出です。
勝手に解散して、泣かせて、すみませんでした。
そのあと、どうなるかなと思ったけど、
また戻ってきてくれて本当に感謝しています」
通常のライブであれば、
【I Love you, SAYONARA】
【Room】
【素直にI’m Sorry】
などチェッカーズ時代の曲が流れると、
会場は大歓声に包まれることも多いが、
この日のファンは冷静でした。
おそらく、9月から始まったライブツアーに
何度も足を運んだファンの方が多く集まっていた為?
かと思われますが。
それだけ根強い固定ファンが居る証拠となるでしょう。
【HEART IS GUN ~ピストルを手に入れた夜~】の
イントロが流れた瞬間、
会場は地鳴りのような歓声が沸きました。
1989年発売のアルバム
【Seven Heaven】
に収録されたこの曲は、
チェッカーズのライブで盛り上がる人気曲で、
間奏中にフミヤが
「高杢、あばよ」
「政治、あばよ」
「尚之、じゃあな」
などと他のメンバーを銃で撃ち殺す寸劇も
行なわれていた曲でした。
この日も銃のようなものを持ち、
客席に向けるパフォーマンスで
会場を最高好調に盛り上げ、
ファンも当時のままの振り付けで踊り、
会場は一体感に包まれました。
その後、1986年発売のシングル
【OH!!POPSTAR】
と一緒に入っている
【おまえが嫌いだ】が流れると、
ファンの熱気はピーク達しました。
これも、チェッカーズ時代にライブで
何度も演奏された名曲で
ファンは酔いしれました。
「また一緒に遊ぼうぜ!」と25年前と変わらない
セリフで藤井フミヤ氏は会場を後にしました。
今や、懐かしいバンド時代の
X JAPAN、
LUNA SEA、
米米CLUB、
ユニコーン、
プリンセス プリンセスと、
2000年代後半以降、人気バンドの再結成が急増しているが、
今年デビュー30周年を迎えるチェッカーズ10+の動向が
気になるのだが…。
ふたつ返事で、再結成しよう!
とは、なかなか出来ない事情もある。
昨年12月28日、リーダーだった武内享が、
ツイッター上でこうつぶやいている。
「ツイッターとやってないだろうが、
オレにチェッカーズ再結成話で電話してくる業界関係者に言いたい。
中途半端な気持ちでオレに電話するな。
オレはチェッカーズ10+ 件が本当に好きなんだ。
だからオレが一番やっかい」(原文より)
業界関係者が、チェッカーズ10+ 件再結成話を
持ちかけてきているというのである。
チェッカーズは1983年に
【ギザギザハートの子守唄】でデビューし、
翌年
【涙のリクエスト】が大ヒット。
以降も、
【星屑のステージ】
【ジュリアに傷心】
【I Love you, SAYONARA】
【夜明けのブレス】
など数々のヒット曲を出し、
1992年に惜しまれながら解散している。
チェッカーズといえば、思い起こされるのが、
2004年にドラム・徳永善也氏が死去した際に話題となった
“確執騒動”。
『徳永善也を送る会』の発起人に、
武内享、大土井裕二、藤井尚之、藤井フミヤの
元メンバーは名を連ねたが、
同メンバーだった、高杢禎彦、鶴久政治の
サイドボーカルコンビの名前はなかった。
この出来事はワイドショーなどで、大きく報じられた。
「チェッカーズ解散後、武内などの楽器陣は、
徳永と『アブラーズ』というバンドを組み、ともに活動。
そのライブに、フミヤがゲストで登場したこともありました。
一方、高杢や鶴久は7~8年間まったく徳永と
会っていなかったはず。
と関係者は言う。
『送る会』以前に福岡で行なわれた葬儀には、
鶴久は仕事で来られなかったものの、高杢は参加。
フミヤに『久しぶり!』と声をかけられ、
感動したと漏らしています。
しかし、『送る会』の案が出た後に、
高杢が突然『発起人になりたい』と言い出したのには皆、
閉口したようです」(音楽業界関係者)
というのもその前年に、
高杢は暴露本『チェッカーズ10+ 件』を発売
(本人は、テレビで「ボーロ本ではなく、ジショ伝」と発言)。
これが、チェッカーズの不仲を世間に知らしめる決定的な
出来事になっていた。
「暴露本を出しておいて、『仲良くしよう』といわれても、
あまりにも筋が通らないでしょう。
私も読みましたが、あまりに独りよがりな発言ばかりで、
空いた口が塞がりませんでした」(前出・音楽業界関係者)
このような一連の流れから、
チェッカーズ10+ 件の再結成は不可能だという見方が大半のようだ。
長年のファンは…
「クロベエ(徳永の愛称)が天国に行った時点で再結成はありえない。
7人でチェッカーズ10+ 件なんです。
思い出は美しいまま残したい。
ただ、万が一再結成したら……、
やっぱりライブのチケットを取っちゃうのかなあ……」
とファンらしい意見が一番多いが。
解散後に、積極的に活動をやって来たのは
藤井フミヤ氏。
やはり、長年のファンとしては
藤井フミヤ氏の、一言が一番
心に響く。
***************************************
【あの”与沢翼が”編集長”!?】
与沢翼がまたしても
突飛押しも無い事を始めたようです。
あの与沢翼、本人が
”責任編集長”
を務め、
【土屋ひろし】、【久積篤史】とともに、
オールドメディアに殴り込みをかけたそうです。
その秘めたる真意を目の当たりにして下さい。
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